読書三昧

ネットワークの本とか、解析力学の本とか、史記とか、モリヒロシ(漢字が…)とか、よくわかんない哲学の本↓とか。

aがbを、bがFであるその故に愛しているとすれば、それはFである限りのb、Fであるという点で切り取られたbの姿を愛しているのである。…あるいはむしろこう言うべきかもしれない。aは結局、bについてなぞって作り上げた自分のイメージを愛している、と。そのイメージとは、自我すなわちおのれの我執の自己投影である。ここにはbその人自身への愛はない。…

…他人の死は、こうして、他者は断じてわたしの思い描いたイメージ、自己投影でなく、無限とも思える遠さの絶対他者であることを露わにしつつ、同時に、わたしのイメージ、わたしの自己投影の崩壊を告げている。…

…わたしはわたし自身の全体を知らない、そういう存在だったからである。そのいみで、自我がどんなに強固な自閉完結空間を作ろうとも、その底は割れている。愛はみずからその空間を開くことを命じている。不可測不可侵の絶対他者の存在を容認し、その存在のために最善を願望するしかたで、私がなぞり作ったイメージ、自己投影でない汝に我が空間を開き渡すのである。…愛はこうして不可測なるものにみずからを賭け、冒険に身を委ねるのである。…期待が満たされることもあれば、傷つけられることも裏切られることもありえよう。さらには愛する相手にわたしが何か知られるというまさにそのことも。…


そう。しかし、不可測なるものにみずからを賭けるのは、おそるおそるするべきことだと思う。賭けられる方も大変なのですね。