耳に痛い引用

isbn:4003363825:title の中で、以前みつけた言葉から。

なんら正しい結果へ導かないのに、いたずらに多くの時間と精神力を要求するような事柄からは、つとめて遠ざかるがよろしい。クラブ、会議、委員会、講演(それをやるのも聞くのも)などの大多数がそれに属している。そのようなものが生命力をもち、有益である場合には、それを援助すべきであるが、果たしてそうであるかどうか、あるいは社会や新聞で名を売りたがる連中の単なる競技ではないか、それを見分ける正しい直感力を養わねばならない。

ある先輩によると、対人コミュニケーションは時間の経つのを忘れるそうである。これを肯定的に捉える人もいるし、否定的に捉える人もいる。

高潔なヘンリー・ドラモンドのまことに適切な言葉は次のように語っている。

「ぞんざいな、不完全な仕事をする人は、みずからぞんざいな不完全な性格を養いつつあるのだ。その人はたえずごまかしに馴染んでいる。そこで、この眼に見えないものが、彼の仕事から、ちょうど微妙なエッセンスのように立ちのぼって、彼の魂のなかに浸みこみ、それを毒するのだ。」

残念ながら、これにすこしつけ加えねばならない。すなわち、この言葉は、そのようなごまかしの仕事をふんだんにやっているわれわれの時代の、またわれわれの世代全体の、まさに痛い所を突いているということである。

残念ながら、僕もこのごろあまり丁寧でない仕事が増えている。功を焦って新しいことにどんどん手を付けるのはよくないらしい。

こういう厳しい基準でときどき考えてみないと、自分のしていることに意味があるのかどうかはいまいちよくわからない。