最近、なんのために生きているのかよく分からない。することはたくさんあるはずなのに暇潰しをして、出した方が後が楽になるレポートを書いていなかったりする。時間感覚が拡散している。典型的な、アイデンティティの拡散である。

ところが、あんまり不安が無い。一週間の予定が完全に決まっていないと生きている心地がしないと言ってた友達がいるけれど、僕は、予定が完全に決まったら生きている心地がしない。好きなときに寝たい。興味の湧くことだけしていたい。

僕に必要なのは、本当に楽しいことを見つけてそれに打ち込むことだろう。本当に楽しいことと、暇潰しは違う。暇潰は、なんのために生きているのかよく分らない不安から逃れるための活動だ。

僕の場合、本当に楽しいのは、突拍子もないことを思い付くことや、言葉を丹念に作り込むこと。プログラムを作り込むのも好きだけれど、自然言語の方が好き。

突拍子もないことを思い付くのは、やろうとしてできることではない。無理に思い付こうとして思い付いたアイデアなど、ろくなものではない。そしたら、言葉を丹念に作り込むのがいいのかなぁ。でも気合入れて書くこともないなぁ。翻訳でもするか。

理系の学生なのにこんなことを書いていると、「小人閑居して不善を為す」(大学) とか、「見てそれとわかることを大切に、数学の勉強でも、せいやせいやせいや!」(ガチャガチャポン)とか、喝を入れられそうだ。